梨の蕾が、ほどけていく。
畑に立つと、時間の流れ方が変わる。通常の仕事として向き合うと焦りしかない。 花が咲けば交配作業だが、当園は花粉精製の機材がない。
すなわち手作業で容器に花を摘み取り、成らせたい品種の花のめしべに異品種のおしべをつけて交配する。
よくまあこんなたわわに咲こうとしてくれたものだ。 花粉のためではないのだが、豊水は役立ってくれている。
わたしが言いたいのは、これで良いと決めることだ。 前述の花粉精製の機材があれば、ノウハウがあれば、迷わずそうするだろう。 状況が変わればやり方も変わる。
移行期間と割り切り今はこのやり方を選んでいるだけだ。
樹に念は通じると思っている。全体の開花を制限し養分を集中させる、蕾取りがある。これにより開花のタイミングをある程度揃えることができる。ただ、選択と集中のために人手が足りていればの話だ。 「できる限り応えていくからちょっと待って」この様な想いで園全体を周っている。
慌ただしいが充実している。 人間は利益追求のために、すなわち大きな果実収穫に向けて逆算して花を摘み取っている。が、樹は「さあ美しい花を見て」と語りかけてくれているとわたしは思う。 この両者の調和を模索し続けている。 普通の梨農家はこんなことは思わない。
人も人で葉を残し、花を摘み取ることに全集中している。 細かいがそうしている。その積み重ねが樹の充実につながると信じているからだ。 芽は目に、 葉は歯に通じている 植物の世話をすることで人も立ち働けている。 この概念を信じられますか?
良ければまたご覧になってください🌿