穏やかな氣持ちがもたらす
交配を丁寧にやったところと、少し手を抜いたところ。
着果の差を確かめようとしたけれど、正直なところ、よくわからなかった。
必死に花を減らして、精一杯の人工授粉をしたところでも、生理落果は起きた。
それなら——と、少し立ち止まって考えた。
穏やかな氣持ちで向き合えば、実は結ぶのではないか。
必死さは、何かを守っているようで、実は思考や身体を固くする。
畑に立っていると、ふと思う。
今ある技術の多くは、農家に「買わせるため」に設計されていないだろうか。
肥料。農薬。精製花粉をつくるための機材。
草を刈って土に還せば、肥料は要らない。
風と昆虫に任せれば、花粉も案外届く。
農薬は、大義名分があることも知っている。それでも、困難を極めながら無農薬を達成している方がいることも、事実だ。
不思議なのは、大量生産をするほど、病害虫が増えることだ。
工業化した途端に、待ったをかけられたかのような——そんな不自然さを感じる。
向こう10年、交配作業を続けるとして。
必死にやらなくていい、とは思わない。
ただ、穏やかな氣持ちで居ることが、きっと結実につながる。
ありの実はそれを、静かに教えてくれている気がした。